88歳になる母が入院しました。
実家を離れて暮らす私は、すぐに駆けつけることもできず、
もどかしい日々を過ごしています。
母が体調を崩したと聞き、3泊4日で帰省してそばにいた数日間。
落ち着いたように見え安心していたのですが、
私が戻ったあとに呼吸が浅くなり、顔色も悪くなってーー急遽入院となりました。
病院では感染対策のため面会も制限され、
今は姉たち(2人)が交代で、毎日15分だけ面会に行ってくれています。
遠くから見守る私にできるのは、週末の10分のビデオ通話だけ。
それでも、画面越しに母の笑顔が見えるだけで、
少しほっとします。
遠くからできる「小さな支え方」
離れていると、「何もできない自分」を責めてしまうことがあります。
でも、母の顔を見て話すだけでも、確かな気持ちが届いていると感じます。
画面越しでも、母は笑顔で「なんで会いにこんね、、」なんて、冗談混じりに話かけてきます。
週末のたった10分間でも、そのやりとりが私にとっても母にとっても安心できる、
大切なひとときになっています。
先日は、ぶどうをほおばりながら、私に「あ〜〜ん」してくれた母の仕草に、
胸がいっぱいになりました。
そんな何気ないやりとり一つ一つを、離れていても母と繋がる小さな瞬間を大切にしています。
姉たちへの感謝ー「寄り添うこと」の意味を教えてもらう日々
毎日毎日、どんなん忙しい日でも、たった15分間。
その15分のためにだけ、病院まで足を運び、母の顔を見に行ってくれる姉たち。
その姿を想像するだけで、もう、胸がいっぱいになります。
忙しい中でも欠かさず続けてくれている姿には、本当に頭が下がります。
「15分だけでも顔を見ることが大事よ!」
そう言う姉の言葉に、本当にハッとさせられます。
その一言に、直接会うことや、
じかにそばで見守ることがどれほど母の心の支えになっているのかを、
あらためて実感させられています。
遠方で思うように面会できない私にとって、姉たちの存在は本当に心強い限りです。
こうして「寄り添うこと」の意味と大切さを、姉たちから教えてもらっている…
そんな気持ちでいっぱいになります。
離れていても「心はそばに」
会えなくても、声や表情、言葉の温度で伝わるものがあります。
それは画面越しの声のトーンや、ほんのわずかな表情の変化、
そして交わされる言葉の温かさから、私にも確かに伝わってきます。
不思議なもので、離れて「見守る」立場だからこそ、気づかされることもあるんです。
母は普段から『新聞を読む習慣』だったはずと、姉たちに伝え
新聞を届けてもらうと「読みたかった〜〜」と喜んでいたと聞き胸が熱くなりました。
当たり前だった日常を、母にささやかながらも取り戻せることができた瞬間でした。
離れているからといって「そばにいられない=何もできない」なんてことは、決してない。
むしろ五感を研ぎ澄ませば、母の「今」を想像し、
“想いを届ける方法”はいくつでもあるということを強く感じています。
まとめ:距離を超えて、心で繋ぐ「私たちの寄り添い方」
介護や見守りの形は、家庭や状況によって本当に様々です。
親の近くで支える人もいれば、遠く離れて見守ることしかできない人もいます。
どちらの形であっても、『大切なのは心がそこにあること』なのだと、
今回のことで改めて強く感じています。
今、私にできることを、無理せず、そして優しさを忘れずに続けていけたらいいな。
退院が決まったら、仕事もここで多めに休暇を取り、母のそばで
「支えていくから任せてね!」と姉たちにも伝えています。、
私も50代後半、そして姉たちは60代。介護するほうの年齢も体力も
これからは厳しくなっいく現実があります。
この先皆さんもいつか、両親のこと、あるいはご自身に関係してくるときがくるかもしれません。
そんな時に、「どうするべきか」と慌てないように、
家族や夫婦、兄弟姉妹で、少しでも話し合っておく時間を持つことが、
いざという時に大きな助けになるはずです。
日々ビデオ通話の時間を楽しみに、母の笑顔を思い浮かべています。
離れていても、ちゃんと繋がっている——そう信じながら☺️
また、その後のお話もできたらいいなと考えています。
ならば、母ちゃん〜〜〜!!!


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